訃報

マーロン・ブランドが亡くなられたそうである毎日新聞
僕の場合は、マーロン・ブランドというと『ゴッドファザー』ではなく、なんといっても『ラスト・タンゴ・イン・パリ』である。蓮實重彦『映像の詩学』文庫版もあり)の中の「ベルナルド・ベルトリッチ論 闇・迷路・偶然」には「疲れきったパリのアメリカ人だのブルジョアのパリジェンヌだのは、いくらでも首のすげかえのきく飾り人形にすぎない」という一文に続いて次のような一節がある。

『ゴッドファザー』のマーロン・ブランドが薄くなった後頭部と脂肪でふくらんだ腹を隠しもせずに束の間の恍惚の表情を演じてみせたからといって、けっして彼がスターの座を放棄して生身のブランドをカメラにさらしたわけではなく、ただあの醜さが、衣装とメーキャップの役割を巧まずして演じてしまっただけのことであり、無知と傲慢さとから出たその程度の勇気は、ハリウッドのスター・システムをいささかも揺るがせたりはしない。(p.192)

褒めているのか、貶しているのかよく分からない文章であるが、僕には「偶然の邂逅というテーマからは厳しく身を引き離」す「匿名の遭遇者たち」の物語である『ラスト・タンゴ・イン・パリ』において、ブランドは「巧まずして演じてしまった」という以上の決定的な役割を演じているように思える。
合掌。