純愛の形

バンド・オブ・ザ・ナイト (講談社文庫)
冬ソナ完全版ってのが2〜3日前からやってる。初回放映時はクソ忙しくて見逃したので、今さらながら見てる。今のところ個人的にはミニョンむかつく!*1 

* * *
同じ頃から中島らもの『バンド・オブ・ザ・ナイト (講談社文庫)』を読み始めた。この講談社文庫版の表紙はフジモト・ヒデトが描いてる。この人、むかーし(今も?)、ロドリでよく絵を描いていた人なんじゃあないかと。すごくいい絵だと思った*2町田康の解説もすごくいい。中島らもの人徳のなせるワザだろう。

おれと*3は二階へ上がった。そして眠ろうとするとが(中略)、「あたし、岡本さんのこと、好きみたいなの」「えっ」(中略)「あたし、ちょっと岡本さんと話してくる。ちょっと待っててね」(中略)一時間が過ぎた頃、はやっと戻ってきた。ふとんにもぐり込むなり、は笑って、「えへへ。やっちゃった」(中略)「やったって、アレをやったのかい」「そう、ごめんね」ごめんねですむ話じゃないだろう、とおれは思ったが、考えてみれば、おれも結婚して以来、たくさんの女の子と寝ている。だけにそれを禁じる理由はない。思えばこの日から“ヘルハウス”の性的アナーキー状態がはじまったのだった。

物語は「八十年代がかちりと音を立てて始まったとき、おれはクスリの仕分けをしていた」との一文ではじまる。中島らもはまったく読んだことがなかったが、この一文を立ち読みした瞬間、購入を決意した。僕自身は典型的な小市民なので、クスリにも性的アナーキーにもまったく無縁な人生を歩んでいるのだが、この手の小説は嫌いじゃない。まだ途中までしか読んでないけど、プーのおれとの住まいはいつしかラリ公のたまり場となり、ヘルハウスと呼ばれるにいたる。このジャンキーたちのどよーんとした日常を描く小説のようである。

点描法の絵のように日々が流れていく。点はラリっていなくて意識のしっかりあるときだ。

けっこう切ない話っぽいけど、面白いです。

*1:その後、本日(12/24)の放送を見て、決定的にミニョンとユジン(ってゆーか冬ソナの世界観)が許せなくなった。ミニョンとユジンが代表する世界とは、実力で自分にとって邪魔な他人を排除し、自己を確立するというものである。一方、サンヒョクが代表するのは儒教的な世界である。ミニョン=ユジンの「自分らしく生きる」とか、「本当の自分に正直になる」とでも言うべき価値観は、一見もっともらしく見えて、実は多くの犠牲の上に成り立っているわけで、周囲の人にとっては迷惑でしかないことが多々ある(とはいえ、サンヒョクもアラブの富豪みたいなもので、基本的にはエスタブリッシュメントというか勝ち組側の人間であるのだが)。ミニョン=ユジンを現在のアメリカ(ミニョンはアメリカ帰り)、サンヒョクをイスラム世界と読み替えたとき、この物語はどう読めるのだろう?(サンヒョクが食事を拒絶するのは一種の自爆テロであり、病床のサンヒョクを見舞うユジンは、アフガニスタンに救援物資を提供するアメリカの人道主義団体みたいなものか)。でも、この後も話は二転三転しそうだなぁ……。

*2:大きな画像はコチラでどうぞ。

*3:原文は「み」に傍点。主人公である「おれ」の配偶者は「み」と呼ばれている。