Short Trip to Nikko (5) ──日光プリンスホテル


菖蒲ヶ浜の駐車場に車を置き、湖岸沿いのトレイルを1時間半も歩くと、千手ヶ浜にいたります。外山沢川、柳沢川が流れ込む千手ヶ浜は東京ロッド・エンド・カンツリー倶楽部の活動の舞台の中心であり、当然そこを見たくてザックを背負って歩き出したわけです。しかしその前に、千手ヶ浜へのトレイルの入口に位置する日光プリンスに軽く言及しておきます。
皇室とプリンスホテルの密接な関係は猪瀬直樹の『ミカドの肖像(小学館文庫)』に詳しいところです。日光プリンスもまた背後に皇室の存在が見え隠れします。昨日紹介した「旧 日光養魚場」のホームページには同所の年表が紹介されています。

明治21年(1888) 奥日光官有地(中禅寺湖、湯ノ湖を含む林野)が御料地となり、同23年宮内省御料局が深沢のふ化場を菖蒲ヶ浜に移築する。
明治39年(1906) 宮内省は、菖蒲ヶ浜のふ化場を全面改修し御料局直轄の日光養魚場を発足させる。
明治41年(1908) 御料局が帝室林野管理局と改称され.帝室林野管理局直轄の日光出張所養魚場となる。(中略)
昭和22年(1947) 財産税法の施行により奥日光の御料地は国へ物納され、養魚場を含む林野は林野庁所管の国有林野となり林野庁東京営林局宇都宮営林署養魚場となる。

奥日光は1888年に御料地となり、終戦後の1947年に「国へ物納」されたのですから、59年の長きにわたって、皇室の土地だったわけです。そして、日光プリンスはその皇室の施設であった日光養魚場とは湯川をはさんで対岸に位置します。
余談になりますが、国際的な避暑地として有名であった日光には、不思議と有名な教会などが存在しません。日光といえば東照宮であり、二荒山神社であり、輪王寺であり、金精神社です。箱根も同様だと思われます。軽井沢と比べるとその差が際立ちます。そもそも日光は家康廟があるわけで、荒俣宏半村良なら、ものすごく面白いフィクションをいくらでも書けるぐらいネタの多い場所なのでしょう。