短いことと長いこと

愚考を少々。

モダン・ジャズの歴史をひもとくなら、必ず目にするのがマイルス・デイヴィスBirth of the Cool(クールの誕生)。ほとんどヴィブラートを使わず、スタッカートを多用する奏法ゆえ、「クール」と言われたそうだ。例えばジェームス・ブラウンIn the Jungle Grooveに収録された、あまりに有名な“Funky Drummer”。JBはもはや歌うことを放棄してスキャットするだけだし、ハイハットは固く閉ざされチキチキ硬質な音を刻むだけだし、小型のシンバルはペシャーンとヘナチョコな音を出すだけだし、メシオ・パーカーのサックスはヴィブラートを使わず、スタッカートを多用する。要するに、装飾的な要素を省き、音を短く切りつめたりすると*1、独特の「クール」な感覚が生まれるのではないだろうか?
これに対して、装飾を過剰にして、音を長く引き伸ばしたりするとどういうことが起きるかというと、例えばジミ・ヘンドリクス。そのギター・サウンドはご存じの通り、電気的に増幅され、ノイズをたっぷり含み装飾的になり、共鳴を引き起こし長くサステインする。チョーキングやアームも多用される。これが独特の「サイケデリック」な感覚を生む。シタールの音なんかも同様の文脈で理解できるだろう。のちにマイルス・デイヴィスもこの方向に向かい、多くの傑作を生む。

この視点に立つと、80年代のモッズ〜スカ・ムーヴメントなんてのは「短い」人たちによるものだということが分かる。ルックス的にもピチピチで袖や裾を短めに仕立てるモッズ・スーツなんてのは「短い」感じである。青と赤の円で構成された例のマークも、例えばペイズリー柄なんかと比べてみるとき、その意匠が意味するところははっきりするだろう。ポール・ウェラーの短く切り揃えられた前髪(下のジャケット参照)も何かを象徴している。ヘビメタなんかのな「長い」ルックスと対比すると、やはり対立点が明確になるように思える。
ベスト・オブ・ザ・スタイル・カウンシル
あくまで、たんなるひとつのものの見方に過ぎないわけで、世の中そんなに単純なものではないだろう。また、最近、僕が好きな音楽なんかはこういう視点からは理解できないものが多い気がする。

*1:余談ながら、ジャン=リュック・ゴダール『勝手にしやがれ』は、プロデューサーに「長すぎる」といわれたJLGが、機械的に各シーンを「短く」切り詰めた結果、独特のリズムが生まれたという。さらに言うなら、ジーン・セバーグのショート・ヘアーや、ジャン・ポール・ベルモンドの太くて短いネクタイなんかもある種のテイストを生むのに貢献しているかもしれない。59年に公開され、のちにヌーベル・バーグの代表作となるこのフランス映画で、BGMとしてジャズが多用されているのも興味深い。