kechida2004-07-30

詩って苦手。学校の授業でもいつもツマンネーと思っていた。大学のころランボーなんか読んでみたけどよく分からなかった。食鉄人(?!)をテーマにした小松左京『日本アパッチ族』には次のような一節がある。

鉄なんか、とてもわれわれの味覚を満足させることができないという食通氏には、ランボウの飢餓の祭典(フェット・ド・ラ・ファム)を読むことをおすすめする。この先覚的詩人は、鉄に対する食欲をはっきり次のようにうたっている。

食いたいものは
あるにはあるが
俺の食いたいのは、
土や石、
ディン、ディン、ディン、
さあ食おうじゃないか
空気を岩を
石炭、鉄を!

これを読んだときはランボーを読んでてヨカッタ、と思ったものだ。
最近ひょんなことから、西脇順三郎の「ギリシア的叙情詩」の中の「雨」という詩の英訳を読んだ(訳=ホセヤ・ヒラタ)。

RAIN
The south wind brought a soft goddess,
moistened the bronze,
moistened the fountain,
moistened the wings of swallows and the golden hair,
moistened the tide,
moistened the sand,
moistened the fish.
It quickly moistened the temple, the bath, and the theater.
This serene procession of the soft goddess
Moistened my tongue.

なんか、いいなぁと思った。そういうことがたまにある。最近、トマス・ハリス『レッドドラゴン』を読んだ。冒頭、ウィリアム・ブレイクの詩がふたつ(正しくは二篇とかいうのかな?)引用されている。

慈悲は人間の心臓を、
憐れみは人間の顔を、
愛は神聖な人間の姿を、
そして平和は人間の衣服をつけているのだから。
『無垢の歌』(神の姿)
残酷さは人間の心臓を、
嫉妬は人間の顔を、
恐怖は神聖な人間の姿を、
そして秘密は人間の衣服をつけているのだから。
人間の衣服は鍛えられた鉄、
人間の姿は烈火の火事場、
人間の顔は封じられた溶鉱炉
人間の心臓は、その飢えた咽喉。
『経験の歌』(一つの神の姿)

これまたいいなぁと思ってしまった。で、さっそく対訳 ブレイク詩集』ってのを買って、ポツポツ読んでいる。どれもなかなかいいのだが、ガッカリしたのは英文の書体。なんだか新聞の活字みたいな書体で印刷されている。詩には詩にふさわしい書体があるのではないか?と思ってしまった。やっぱこーゆーのは洋書の豪華本みたいなのを買うべきなのかなぁ。
すっかりワケ分かんない話になってしまった。