トーマス・ブレイク・グラバー

きわめて唐突に(本当は唐突ではないのだけれど)トーマス・B. グラバーの話など。この人、釣り人の間では中禅寺湖にブルックトラウトを移植し、「東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」という釣りを中心とした社交クラブにも関係していたことで知られている。
さて、釣りを離れたところではグラバーってのはどんな人だったのだろう? グラバーはスコットランドのaberdeen出身。かの地の名前を冠した竿もあるので、フライ釣り師にはお馴染みの地名だ。ちなみにaberというのは「口」を意味するようだが、aberdeenはdee川の河口に位置する街であり、だから「aberdeen」なのだ。日本に来て何をやっていたかというと、グラバー商会というのを経営していて最終的には軍需品や船舶を日本に売りさばいていたようだ。長崎にグラバー園というのがあるが、長崎といえば造船所で有名。そして、軍需産業+造船=三菱重工ってわけで、同社の相談役を務めたという。また、薩長の志士たちを外国へ送り出していたりもしたこともあるそうだが、こちらは現在調べ中*1。奥さんはツルという名前の日本人で、有名なプッチーニの歌劇「蝶々夫人」のモデルともいわれる。

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現在調べ中なんで、続きは後ほど。今まで書いたところにもいろいろ書き足していくと思います。とても興味深い人なんで、思わず先出ししちゃいました。

*1:話はカリフォルニア・ワインまで広がるかも。