西園寺公一『新編 釣魚迷 (つり人ノベルズ)』読了

kechida2005-04-19

釣り人としてなら滅法面白い本である。しかし、西園寺公一がどういう人だったかを知ると、どう評価すべきか悩んでしまう*1Wikipediaによる「西園寺公一」はこんな感じ。以前、ソ連赤軍第四本部)の間諜ゾルゲの本について書いたエントリで、西園寺公一のことには軽く触れたが、そもそも祖父である西園寺公望からしてフランス留学を通じて自由民権思想に傾倒した華族出身の政治家であったワケで(とりあえずwikipedia参照されたし)、西園寺公一にいたっては当時さらに進歩的だと考えられていた共産主義に傾倒してしまったわけだ。
西園寺公一ゾルゲ諜報網で重要な役割を果たした元・朝日新聞記者の尾崎秀美を通じて情報を諜報網に流していたとされている。嫌・朝○のムードが漂う現代からは想像しにくいかもしれないが、終戦後においてはゾルゲ事件で処刑された尾崎秀美は、日本を売った国賊であるというよりは、軍国主義の日本を転覆するためにソ連に情報を流した進歩的な知識人という見方もされていたようである(そもそも尾崎が売った日本は「皇国日本」だったわけで、一理あるのは間違いないだろう)。西園寺公一は1958年に日本共産党に入党し、不勉強ゆえ何があったか知らないけど日本と中国の共産党の路線対立から1967年に除名されている*2。除名後は日中の友好親善に尽力した。『新編 釣魚迷 (つり人ノベルズ)』の最終章は中国での釣りの話ばかりだ。
『釣魚迷』冒頭にすえられた旧・岩波新書版の「あとがき」には、以下のようにある。

本の題は「釣魚迷」(ティヤオ・ユイ・ミー)とした。中国語で釣り道楽、釣りきちがいのことである。おなじく「迷(ミー)」には昔は「馬迷」の競馬狂や「色迷」の女ぐるいなどもあったが、新中国にはまずない。もしあったら、無産階級文化大革命の先鋒隊である紅衛兵の槍だまにたちまちあげられるにちがいない。

この一文をどう解釈すべきなのか? ちなみに1953年のものと思われる記述には以下のようにある。

この日の夕方、八達嶺から帰ってきた北京が、日頃の明るさとはうって変わって深い悲しみに閉ざされた北京だったからだ。スターリンが前日の三月五日に長逝し、この日、北京市民はその悲報に接したのである。

「え? あぁ、私には政治のことは分からないわ」by セイラ
訂正:恥ずかしながら、赤軍ソヴィエト軍)とコミンテルンの違いをまったく理解していませんでした。日本で諜報活動をおこなっていたときゾルゲが所属していたのは赤軍であり、国際共産主義組織であるコミンテルンではありません。

*1:余談ながら同じような難しさは開高健についても感じている。釣り人としてなら、彼が数多く残した釣りのルポルタージュは掛け値なしに面白いが、文学者としてどーだったのか? それからもう一つ重要なのは彼のヴェトナム従軍体験は何だったのか?という問題もある

*2:これまた、まったくの余談であるが西園寺公一の長男は朝○新聞に入社している。wikipedia参照されたし。