禁煙生活継続中(長っ!)

kechida2005-04-21

最近、某所で喫煙肯定のエントリをふたつほど目にした。『Basser』誌のモノクロページでも喫煙肯定の記事を読んだかも。
僕は禁煙をはじめて、5ヶ月が経過したところ。僕はここ2年ほどの間に禁煙に何度か挑戦するも失敗し続けてきたけど、今回はかなり長く続いている。でも、いつまた再開するかは予断を許さない。禁煙のきっかけは子どもの誕生。子どもは多形倒錯しているとかそんなヨタ話もあるけど、基本的には汚れきった大人にしてみると純真そのものなワケで、ホッペたスリスリしようとする自分がタバコ臭いことがとても切なかったのだ(笑。それから、お金がもったいない。安値で取引をはじめて中毒にさせたところで値段をドンドンつり上げてくるのがヤクの売人の常套手段だそうだが、タバコも快調に値上げが続く。なんだかなぁと思った。
何度も禁煙に失敗したと書いたけど、マジで僕は大変だった。最初に禁煙したときはけっこう長く続いたのだが、あるとき人からもらいタバコをしたら止まらなくなった。次に失敗したときは、酒の席でつい手を出してしまい、それから止まらなくなった。1日1本を続けていた時期がしばらくあったのだが、気付いたら量が増えていた。いずれも僕の気の弱さゆえなのだが、気合いだけでタバコをやめるのが大変なのもまた事実である。僕は禁煙補助にニコチンパッチとニコチンガム両方を試してみた。タバコ以外の手段でも身体にニコチンを摂取すれば禁断症状にならないのには驚いた。要するに僕は中毒であり、自分の身体は機械みたいなものであるということがよく分かった。一定に刺激に対し、身体は一定の反応を引き起こすのだけど、この一定の刺激は他の似た物質でも用が足りてしまうのだ。
禁煙生活に突入すると、禁断症状というか断絶症状に見舞われる。これは、前に書いたとおり身体がニコチンを欲しているという面がある一方、習慣的にタバコに火をつけている面も多々あり、「うっ、タバコ吸いてぇ」と思うときは自分がどういう状態にあるのかがボンヤリ分かってくる。僕の場合まず食後。これは習慣であると同時に生理的な欲求でもあるかもしれない。ある程度、禁煙が続くと食後にタバコを吸いたくなることはなくなる。むしろ、やっかいなのはストレスから解放された直後にタバコを吸いたくなることであった。禁煙5ヶ月経過した今でも、すごく難しくて長いヘビーな会議から解放された直後はプカーとやりたくなる。ま、ちょっとすれば忘れちゃうけど。
タバコをやめて思うのは、喫煙というのは状況によっては他人に多大な迷惑をかけているのだなぁということ。特に飯を食っているときに隣でプカーとやられると殺意を感じる(w。そもそもタバコを吸っているときから他人の煙はキライだったのだ。歩き煙草非喫煙者にすれば迷惑でしかないし(特に子ども連れだとマジでやめて欲しいと思う)、携帯灰皿を持つ人が増えたとはいえ、ほとんどポイ捨てである。写真は会社近くの街路樹の根元付近だが、これが現実(ちなみにこの写真は特定外来生物にされそうだというタンポポを写したのだった)。僕は1日1箱を15年続けてきた。最後の方はほとんどポイ捨てしなくなったけど、15年間で平均して20%ポイ捨てしていたとすると、20本×365日×15年×0.2=21,900本の吸い殻を捨ててきたことになる。
僕はタバコをやめたいなぁとここ数年思い続けてきたのだが、世間の風潮に流されて禁煙するのもちょっと癪な気がしていた。喫煙というのは一定の歴史を持つ文化でもある。ならば、安っぽい紙巻きタバコはやめよう、と真剣に思っていた時期がある。実際のところ、タバコを巻いている紙も有害そうだし、タバコの葉そのものにも点火を良くするための混ぜモノがたっぷり使われているという。「アメリカン・スピリット」とかいうタバコは添加物を使っていない健康なタバコらしい(w。で、紙巻きタバコではなくて何を吸うかといえば、葉巻かパイプ。いかにも嗜好品らしい面倒臭さがなんともいえず大人の嗜みっぽい雰囲気を醸している。この面倒臭さはフライ・フィッシングにも一脈通じるものがあるかも(w。それを1日2回くらいプカーとやるワケだ。ちょっと調べたところ、パイプはイニシャルコストがかなりかかる。でも、パイプやそれに関わる喫煙具をコレクションしたりする楽しみもあり、道楽者な雰囲気は満点。葉っぱのブレンドなんかでもこだわり甲斐はありそうだ。それから、もうひとつ興味があったのが嗅ぎタバコというヤツで、エラリィ・クイーンの父であるリチャード・クイーンがこれをよく嗜んでいるのだ。どんなものなのか興味津々だった。でも、結局この方面には向かうことなく今日にいたっている。
まだ5ヶ月だが、よく言われるように飯がうまくなり、太った。