葉山へ

kechida2005-07-17

今日は葉山の近代美術館で開催中の「アンテスとカチーナ人形展」を見てきた。カチーナ人形というのは、アメリカ大陸の先住民であるホピ族に伝わる一種のプリミティヴ・アート。実は「なんで美術館でカチーナ人形なの?」と思っていた。しかし、カタログの解説を読んで、カチーナ人形がヨーロッパの美術史で一定の歴史を持つことを知った。ピカソはアフリカの土俗的な芸術の中に創造の源泉を得た。カチーナ人形も同じことである。シュルレアリスムの理論的指導者であったアンドレ・ブルトンはカチーナ人形のコレクターであったそうだ。マルセル・デュシャンもまたコレクターであったそうだ。この展覧会にもデュシャン旧蔵のカチーナ人形数点が展示されていた。

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朝の10時に出発して、1時間半ほどで葉山に。「一色」という手打ち蕎麦屋で昼食をいただき、その後一色海岸で遊んだ。海水浴の用意をしてこなかったので、十分に遊べなかったが、最初は海を怖がっていた息子も、最終的には波が来るたびに絶叫するほど楽しんでいた。着替えもなく、浜茶屋の高いシャワーを使う金銭的余裕もないわれわれ一家は、某所にあった水飲み場の水を利用し、車に積んであったコッヘルに水を汲んでは、足の砂を払い、息子のオムツ内に侵入した砂を払い、ようやく美術館に入ることが出来たのだった(苦笑。
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アンテスとカチーナ人形展も良かったが、意外に良かったのが、小さな展示室で開催されていた吉村弘 (故人) というサウンド・アーティストの小企画。神奈川の美術館では開館と閉館を知らせる音楽を吉村弘氏に依頼して作曲してもらったそうだ。フツー、閉館の音楽といえばドヴォルザークの「新世界」とか「蛍の光」と相場は決まっている。神奈川の美術館はそのような慣例を受け入れなかったようだ。無自覚に先例を受け入れない、他人と同じことはやらない、というのは創造的であろうとする人の最低の矜持だろう。このような美術館は末永く人々に愛されるに違いない。
吉村弘という人はまったく知らなかったが、一時期は小杉武久タジ・マハール旅行団などでも活動したことがある演奏家・作曲家だそうだ。今回の美術館の音楽のためにも記号楽譜というのを制作している。具体的には、葉山の海岸や鎌倉の平家池の風景を撮した写真に円形や三角形・矩形の記号をパソコンで合成したものがそれである。着想は単純であり、表現も最小限に抑制されているにもかかわらず、それ故忘れがたい印象を残すグラフィックである。この抑制の効いた、ミニマルな記号楽譜に比べると、その音楽はかなり叙情的である。でも一線は踏み越えない。そこがすごくいい。特にM1のHayama Sound Logo 1という曲は素晴らしい。パッドというかストリングの音が波の音だとすれば、アルペジオは砕けた波から生じる泡のようなもの。というワケで、このCDを買ってしまった。ウチのステレオ (そこそこ金をかけている) であらためて聞きながら酩酊しつつこのエントリを書いている次第。良い休日だった。
追記:キーワード「小杉武久」をたどっていったら、大友良英はてなに持っている日記にたどり着いた。なにげにアングラというかサブカルな香りがするんだろうなぁ、はてなって。チラっと読んだところコントーションズとか (ジェイムズ・) チャンスなんて名前も散見される。なんだかんだTokyoってすごい都市だなぁ。