日本のアルピニズム

植物学者であり、山登りの達人であり、尾瀬沼環境保護に尽力した武田久吉という人がいたそうです。私はこの方を全然知りませんでしたが、たまたまパラパラ眺めていた麻生三郎という洋画家のカタログで目にしました。この方、日本の近代化と日光の歴史を語る上で外すことのできない駐日英国外交官のアーネスト・サトーのご子息だそうです。
洋画家・麻生三郎は蓬莱屋印刷所という会社のPR誌『帳面』という雑誌の編集にずっと携わってきました。同誌は昭和33年から昭和57年まで断続的に発行されました。美術や文学の雑誌かと思いきや、そんなことは全然なくて、創刊号は「夏山特集」です。藤木九三が「詩・駒草/夏山幻想」という文章を寄せています。2号は「美術の秋」という特集ですが、その後もたびたび山岳をテーマにした特集が組まれています。第7号はなんと「冬山」を特集しています。第22号では『日本百名山 (新潮文庫)』の深田久弥や『新選 山のパンセ (岩波文庫)』の哲学者・串田孫一が寄稿しています。この雑誌に武田久吉もたびたび寄稿していたそうです。
個人的には日本のアルピニズムの起源にも微妙に興味がありますが、こちらはこちらで釣り以上に奥が深そうです。たとえば、チラっと検索して見つけたこんな年表。ドキがムネムネしてしまいます。
昨年の夏に葉山の近代美術館で「自然と人生」というとても興味深い展覧会がありました。同展の第三部は「登山、避暑、保養−−山岳と海浜への眼差し」と題されています。ちょっと長くなりますが、引用してみます。

近代になって、「見る自然」が発見されたのだが、同時に近代化に伴う新しい生活様式が暮らしのあらゆる側面に持ち込まれ、自然のなかに入って自然の効用を利用していく時間が少しずつ増えていく。たとえば登山、避暑、保養、どれも近代化の時代に入ってヨーロッパから持ち込まれた新しい考え方である。
 山伏、またぎ、木地師、薬草採りなど、山に登り、山で生活する人は古い時代から存在した。またかつては庶民の多くは山岳信仰を抱いて山に登り、少数の例外を除いて、登山それ自体が目的とされることはなかった。明治時代になると、ウォルター・ウェンストンに代表されるように、ヨーロッパのアルピニズム思想に従って登山が始められる。ほぼときを同じくして志賀重昂の『日本風景論』が1894 (明治27) 年に刊行されてナショナリズムの思想に支えられて国土の再発見が促され、山岳や高原、海岸地帯は登るもの、逍遥するものとなり、眺める対象となった。そういう視線が画家たちの間にも広く浸透していく。都会からできるだけ離れた自然、山、渓谷、高原は、それ自体が人の生きるうえで安らぎを与え、憧憬を誘うものとなり、格好の画題にもなっていった。

「自然と人生」展図録、85頁

この延長上に我々はいるのだなぁと最近シミジミ感じます。