ストーンズ5度目の来日

レット・イット・ブリード
ストーンズ:「ア・ビガー・バン」来日公演スタート/芸能:MSN毎日インタラクティブ
たしかストーンズは私が大学生だった15年くらい前に初来日しました。成人式の日に追加公演のチケットの発売があり、成人式に参加せず徹夜で並んだ記憶があります。コンサートそのものはあまり記憶に残っていません。同じ頃に見たプリンスのライブは凄まじかったですが*1
私がローリング・ストーンズをスッゲェと思ったのは、『レット・イット・ブリード』の冒頭を飾る“ギミー・シェルター”を聴いたときでした。代々木のチョコレートシティというライブハウスでフールズというバンドのライヴを見たときのことです。開演前のBGMでこの曲が流れました。冒頭のギターが私にはえらくエキゾチックに聞こえました。曲がはじまると、いままで聴いたことないようなスイング感を感じました。そして曲の禍々しさ、異常なテンションに圧倒されました。後日、CDを買って歌詞を読んでまたシビレました。
大学時代 (今も) じゃがたらというバンドが好きでした。けっこうスキャンダラスなバンドでした。私がリアルタイムで見ていた頃は10人編成以上の大所帯でメチャメチャかっこよかったです。やはり大学時代にじゃがたらの『南蛮渡来』というアルバムが再発されました。このアルバムにはけっこうな頁数の「ヒストリー・オブ・じゃがたら」というパンフレットがオマケで付いていました。もっとも過激なパフォーマンスをしていた時代の写真がたくさん収録されています。その中の一葉の写真に「ミック・ジャガーがレット・イット・ブリードと言ったからオレは血を流した」というような見出しとともに、自らの額をカッターか何かで傷つけ血を流すボーカリスト江戸アケミが写っていました。江戸アケミは私が大学時代に自宅で変死しました。葬儀は多磨霊園で行われ、線香を上げに行きました。会場ではライ・クーダーの『パラダイス・アンド・ランチ』が流れていました。その後、ベースのナベちゃん*2も死にました。サックスの篠田正巳さんも死にました。
ミック・ジャガーはいまや Sir. と呼ばなければならない人のようです。乱痴気騒ぎばっかりしていたくせに。
◇このエントリはコチラの記事に触発されて書いてみました。

*1:プリンスは大ブレイクする前にストーンズのツアーの前座をしていたことがあったはずです。また、「パープル・レイン・ツアー」はとにかくパワフルだったようですが、ストーンズブルース・スプリングスティーンが見に来ていたと話題になっていた記憶があります。さらに蛇足を付け加えると、この当時のレヴォルーションのギタリスト、ウェンディはハイスクールを卒業したばかりのティーンエイジャーだったというから驚きます。

*2:知り合いとか、そういうことではなくて、そう呼ばれていたのです。