魔法の杖の物語

kechida2006-05-08

『Flyfisher』誌は、もうそれほど熱心に読まなくなりましたが、いつも気になるのが「Tight Loop」というコーナー。今号は「CLASSIC 1970's」と題して、70年代に発表された文章をいくつか翻訳して掲載しています。中でも冒頭を飾る「魔法の杖の物語」(ジーン・アンダーエッグ、1972年) という文章は、とてもコンパクトにフライロッドの歴史を概観していて、私のような初心者には大変ありがたいものでした。グラスロッドについても触れられています。

グラスロッドのポテンシャルを開花させるのに貢献したメーカーはほかにもある。カリフォルニア州ロングビーチにあるセブンストランド社の子会社、フェンウィック社は、戦後でもっとも偉大なトーナメント・キャスターであるジム・グリーンを雇用し、現代的なファイバーグラス・ロッドを組み立てはじめた。同社はその後でブランク製造会社を買収し、ジムが求めるアクションを自在に製作できる能力を備えた。金属フェルールを持たないユニークな構造のフェンウィック・ロッドは国内を席巻し、頑固なバンブーファンも認めざるを得ないほど高性能なプロダクション・グラスロッドが世に送られ始めた。

このエピソードに続き、サイエンティフィック・アングラーズ社のSYSTEMシリーズについても言及されています。もうひとつ、興味深かったのがフェンウィックのエピソードに先立つ「戦争とファイバーグラス」と題された一節。

戦争が終わっても、ロッド産業の復興は遠かった。戦前の輝きはなくなり、オービス、レナード/ミルズ、ヤング、ウインストン、フィリップソンとわずか5社が残っただけとなったのだ。その原因は、戦後に始まった共産主義中国からの物品輸入禁止だった。トンキンケーンは中国でしか採れない。ただの竹と、トンキンケーンは違うのだ。ロッドメイキングの伝統が途絶えそうになってしまったもう1つの原因は、ヨーロッパからの帰還兵がもたらしたスピニング・タックルである。これにより、モノフィラメント・ラインの開発が急加速した。ビギナーでも、わずか数分で達人の域に達することができ、時間をかけてフライフィッシングをマスターしようとする人は顔をしかめた。そして、革命的なファイバーグラス・ロッドが登場する。

しかし、より革命的なロッドの素材=グラファイトが直後に大流行し、グラスロッドは結果として短命に終わり、時代のあだ花的な奇妙な性格を付与されることになります。FFが大衆化するとき、道具もマスプロ化し、竹竿に代表されるような昔からの釣り道具が持っていたアウラ (オーラ) は完全に消滅するわけですが、グラスロッドにはアウラの残滓がかすかに残っているのではないかと個人的には思っています。