八岐大蛇(ヤマタノオロチ)
雲取山の南東面に幾筋もの流れを木の根っこのように食い込ませる多摩川の一大支流・日原川。この写真には、少なくとも唐松谷、小雲取谷、大雲取谷、長沢谷が写っています。
で、なんとなく八岐大蛇(ヤマタノオロチ)ってコレのことなのかなぁと思ってます(あくまで視覚的な意味であって、神話は全然関係ないです)。お馴染みのウィキペディアを調べてみると、まず次のような記述が目に飛び込んできます。
8つの頭と8本の尾を持ち、目はホオズキのように真っ赤で、背中には苔や木が生え、腹は血でただれ、8つの谷、8つの峰にまたがるほど巨大とされている。
こんな記述もあります。
高天原を追放されたスサノオは、出雲国の肥河(斐伊川)の上流の鳥髪(とりかみ、現奥出雲町鳥上)に降り立った。川上から箸が流れてきたので、川上に人がいると思って川を上ってみると老夫婦が泣いていた。その夫婦はオオヤマツミの子のアシナヅチとテナヅチであった。夫婦には8人の娘がいたが、毎年古志(古事記では高志と表記。越国とも出雲国古志郷とも考えられる。あるいはその時代製鉄の先進地帯で、出雲側から山越しするので吉備地方を古志としていたとも考えられる)からヤマタノオロチがやって来て娘を食べてしまった。今年もオロチのやって来る時期が近付き、このままでは最後に残った末娘のクシナダヒメ(櫛名田比売、奇稲田姫)も食べられてしまうので、泣いているのであった。
川も出てきますが、越境というか山越えが出てくるところも興味深いです。そして、こうもあります。
すなわち、毎年娘をさらうのは河川の氾濫の象徴であり、それが退治されたことは、治水を表しているとする。