カフカその後

kechida2008-08-26

読みもせずにあーだこーだ言うのはフェアではないので、ふたたび『海辺のカフカ』を読み始めました(まだ、読了していない)。相変わらず春樹節は全開、40歳を前にした私にはかなり辛いです。特にしんどいのは、自我の迷宮と性的幻想の結託……みたいな話の展開です。春樹ワールドには外部とか客観性、というものが著しく欠如しているように思えます。
例えば、「当文書はアメリ国防省によって「極秘資料」として分類されていたものであり、情報公開法に基づき1986年に一般公開された」という「RICE BOWL HILL INCIDENT, 1994: REPORT」という文章があって、戦時中に山梨県の「お椀山(Rice Bowl Hill)」で起きたと言われる奇妙な事件について、アメリカ陸軍情報部(MIS)が作成した報告書だとされています。すなわち、山梨県疎開していた小学生の児童たちが「お椀山」と言われる山にキノコ狩り*1に行き、その際、飛行機らしき奇妙な「銀色のあざやかなきらめき」を目撃し、その後、山中ですべての児童が意識を失う、という小学生集団昏睡事件について、引率した女教師にインタビューした文章だとされています。
質問者であるロバート・オコンネル少尉の「その最初に倒れた子どもたちはどのような構成だったのですか?」の問いに対し、担任教師であった岡持節子は次のように答えます。

女の子ばかり3人です。仲がよい3人組でした。私はその子たちの名前を大声で呼び、順番に頬を叩きました。かなり強く叩きました。しかし反応はありません。何も感じていないのです。私が手のひらに感じたのは、硬い虚空のようなものでした。
強調は引用者による)

いったい、占領軍であるアメリカ軍の将校に質問され、意識を失った女生徒の頬の感触を「硬い虚空」なんてまどろっこしい修辞を駆使して説明する人がいるでしょうか? そもそも、英語で記録されているはずのこの文章において「硬い虚空」には、どんな英単語が使われているのでしょうか? stiff empty? リアリティのなさに歎息しつつ(やれやれ)、春樹ワールドというか春樹的自我の迷宮に囚われてしまううっとうしさを感じずにはいられません。しかも、後にこの女教師は(彼女から見た)事件の真相を私信において告白します。この第12章は比較的抑制された厳密な文章で書かれていますが、そこで開陳されるのは春樹的といしか言いようのない性的ファンタスマゴリアに他なりません*2
現在、下巻の1/3くらいまで読み進みましたが、これまでで一番の救いになっているのは「星野(ホシノ)」という若者の存在でしょう。「オ○ンコ」とか「一発抜く」といったおおよそ反・春樹的な下品な言葉を連発するこの若者は読むものをひどく安心させはしないでしょうか?(春樹的世界においては性行為は「寝る」「抱く」「交わる」といったまどろっこしい単語で表現される) 
私的に、気になる点がもうひとつあって、主人公である田村カフカウォークマンでプリンスを聴くとされていますが、作者=田村カフカはおよそプリンスを愛していると思われないし、プリンスという固有名はいかなるメタフォリカルな意味も担っていません。「リトル・レッド・コルヴェット」と「セクシー・マザー・ファッカー」は制作年も作風もあまりに違いすぎます。文字通り「マザー・ファッカー」であることを運命づけられている(?)主人公の自虐的かつアイロニカルな気分を代弁している程度の意味はあるのかもしれませんが……。個人的にはプリンスは春樹的なメタフォアになり得ると考えます。すなわち、肥大化した自意識=自我を耽溺し、それをより一層肥大化させ、突き詰めていくと思いもよらない外部が立ち現れるという……。どんなクライマックスを迎えるのか、なんだかんだと楽しみにしています。

*1:そもそも小学生をキノコ狩りに連れ出す、という設定が相当にリアリティのないように思われます。

*2:しかも、昭和43年(1973)に、50歳近い女性がこのような赤裸々な告白をする点がそもそも著しくリアリティを欠如しているように思われます。