カフカにおけるプリンスについてのメモ

kechida2008-09-01

前回のエントリで、田村カフカ少年がMDウォークマンでプリンスを聴いているとされているものの、「リトル・レッド・コーヴェット原文ママ」と「セクシー・マザー・ファッカー」(そもそも正しい曲名は「Sexy M.F.」)を一緒に聴いているのはあまりにデタラメなのではないかという違和感を書きました。しかも、このふたつの曲に言及するのは、現実の、そして正気の佐伯さんと性交をした次の日、ジムでトレーニングをしているときのことです。

いつもと同じ順番で機械をまわりながら、佐伯さんのことを考える。彼女とのセックスのことを考える。(中略)僕の耳の中では、プリンスが『セクシー・マザー・ファッカー』を歌っている。僕のペニスの先にはかすかな痛みが残っている。小便をすると尿道が痛んだ。亀頭は赤くなっている。包皮がむけたばかりの僕のペニスはまだ若く、感じやすいのだ。僕の頭はセックスについての濃密な妄想と、つかみどころのないプリンスのヴォイスと、あちこちの本からの引用ではちきれそうになっている。

これに先立ち、田村カフカ少年は「リトル・レッド・コーヴェット」を聴きながらトレーニングに励んでいます。先日のエントリの段階ではまだ読了していませんでしたが、のちに田村少年が聴くのはプリンスの『グレーティスト・ヒッツ』であることが明らかにされました(文庫版下巻、p.302)。しかし、先ほどAmazonでチラっと調べた限り、「リトル〜」と「セクシー〜」が一緒に収録されているベスト盤はなさそうです。

それからポーチに座ってMDウォークマンでレイディオヘッドを聴く。僕は家を出てから、ほとんど同じ音楽ばかり繰り返して聴いている。レイディオヘッドの『キッドA』とプリンスの『グレーティスト・ヒッツ』、そしてときどきジョン・コルトレーンの『マイ・フェイヴァリット・シングズ』。

レイディオヘッドという固有名が唐突に現れることにも戸惑いを感じざるをえません。村上春樹=田村カフカはレイディオヘッドを聴いて、何を感じ・考えたのでしょう? そして、「ときどき」というわりには、のちに田村少年が森の奥深くに分け入る際、頭の中で鳴っているのは、コルトレーンのサックスです。コルトレーンのサックスとは、すなわちアナログな楽器であるサックスと演奏者が正面から向き合い、即興的に演奏されるものです。それにたいして、プリンスの音楽とは、マルチ・トラック・レコーダーが可能にした多重録音の世界──そもそもその可能性を開いたのはビートルズでした──を極限まで押し広げるものであり、テクノロジーの中に自己を拡散させ、遍在させるものです。どの作品でも構いませんが、その典型的な作例のひとつに『Lovesexy』というアルバムがあります。ここで聴くことのできるプリンスの一人多重コーラスは素晴らしいものであり、けっして「つかみどころのないプリンスのヴォイス」とひとことで片づけられるようなものではありません。プリンスがその創作活動において示した態度、そしてその結果として出来上がった作品は何かのメタファーになり得るはずです。