チャンプル=チャンポン リローデッド

21日付の日記欄で、ウラも取らずに思い付きだけで、チャンプル=チャンポン説(笑)を書いてしまった。急にあせって調べてみたら、とても興味深い事実がいろいろ明らかになった(っていってもググっただけですが)
当然、いろいろな人のいろいろな見解があるわけだが、佐藤和美氏のサイト「言葉の世界」中の「語源・思いつくままに(日本語編)PART 3」が面白かった。話はインドネシアまで広がる。
まず、ピシャーマ氏の2000/10/11の、ミーチャンプルインドネシアの料理)→沖縄のチャンプル→チャンポンの繋がりを問う書き込みに対して、佐藤さんは、山口佳紀編『暮らしのことば語源辞典』講談社の以下の一節を紹介している。

チャンポンとは、中国福建省の「喰飯(シャポン)」が訛ったもので簡単な食事の意といわれるが、これに、異なるものをまぜこぜにする意のチャンポンが組み合わさってできたものと思われる。

「喰飯(シャポン)」の話はここで立ち消えになるが、続いて佐藤さんはインドネシア語を調べ、「campur」が「混ぜる」を意味することを発見する。さらに佐藤さんは、萩谷朴『語源の快楽』新潮文庫の「ちゃんぽん」の項に

しかし、もっと面白いのは、インドネシア語で、混ぜることを、チャンポールということである。カラユキさんやらジャガタラ(ぶみ)、オランダ人を通じてのインドネシアとの交渉も盛んであった。チャンポールからチャンポンへの転化は最も容易であるから、この考えも無視はできまい。

との一節を発見する。なるほど、インドネシアはオランダの東インド株式会社があったところだったわけで、一方、長崎といえば、鎖国中の江戸幕府が外国へ対して門戸を開いたいて唯一の場所だったのだから、これはかなり臭い。そして、インドネシアと長崎を結ぶ線の中間に沖縄はあるわけだ。
さて、一応チャンポンの歴史を調べてみたところ、またまた、興味深い記述を発見してしまった。中谷酒造株式会社のHPにある「若社長の中国日記」Vol.85('03/Jul.14)は「ラーメンの起源 その1 日本までの道のり編」という題で、以下のような記述がある。

6.日本への伝来
長崎のチャンポン麺は、福建人の陳という方が長崎に開いた四海楼という料理屋で、明治30年頃に発明されたと言います。「チャンポン」は既に日本語になっていますが、福建語で「混ぜる」という意味です。豚肉と、エビやイカという海の幸を一緒に炒めて載せたことによるのでしょう。チャンポンのスープは豚骨(とんこつ)です。
チャンポンがあるのであれば、チャンポンしていないラーメンもあったことでしょう。沖縄には ソーキソバがあります。これが原型に近いように思われます。透明な豚骨スープがベース(現在、鰹出しも混ぜるようです)、鹹水を使った腰のある太めの拉麺、豚の骨付きあばら肉を煮込んだ具を載せます。薩摩揚げ(「 Vol. 81 海の女神と薩摩揚げ」を参照下さい)が載ることもあるようです。こうなると海の幸とのチャンポンですね。

うーん、福建語にも「混ぜる」を意味する「チャンポン」という言葉があるようだ。そして、僕が思い付きで書いただけの沖縄ソバとチャンポンの類似性について語られている。この話、調べるとまだまだ広がりを見せそうだ。
ところで、僕は沖縄の人々がジャスミン茶を飲む習慣があることにも興味を持っていた。僕がよく行く沖縄料理屋には「The' au Jasmine」なんて書いてあるジャスミン茶葉の缶が置いてあるので、ヨーロッパのものだとすっかり思っていたが、もとは中国福建省のものらしい(また福建省!)。沖縄の石垣島からは台湾を肉眼で見ることができるわけで、台湾を介して、さまざまな交流の痕跡を見いだすのは難しいことではないはずだ。
引用元、リンク先の皆々様には大変感謝いたします。

追記(3月27日)
その後、佐藤和美氏の「語源・思いつくままに(日本語編)PART 3」に書き込みがあった Carlos氏の「食いしごき調査委員会」を拝見したところ、大変参考になるので興味のある方はどうぞ(「がまだせ島原編」の第7話にあります。チャンポン中心)
そーいえば、九州の地を踏んだことは一度もない。本場のチャンポン食いてー。