世の中にくい込んで生きた痕跡を残すこと

kechida2005-11-11

昨晩、島崎憲司郎新装版・水生昆虫アルバム』が届きました。まだ、ほんの数頁しか読んでいませんが、感動で震えました。この本を読めば今より100倍釣れるようになる情報が書かれているからではありません。もしかしたらそういう情報が書かれてあるのかもしれませんが、今の私には100分の1も理解できないので意味がないことです。
稚拙なたとえですが、男の子がファーブル昆虫記に抱く畏敬の念とでもいうべきものを、私はこの本にたいして抱きました。また、純粋な知的興奮を覚えました。目に見えるものから、目に見えないけれど間違いなく存在する原理をあぶり出すあの魔法のような驚くべき洞察力に満ち満ちています。生々しいにも関わらず、極めて抽象的であるという点では、まさに音楽のようです。蛇足になりますが、島崎氏が中沢氏の死に触れて書いた文章でもっとも印象的なエピソードは、ジャンゴ・ラインハルトの話だと個人的には思います。
そして、反骨精神・在野精神も旺盛なのも痛快です。冒頭の「A Fly Fisher’s View Part 1」という文章には以下のようなエピソードが書かれています。

「島崎さんもインターネットぐらいやるべきですよ。もの凄い情報量ですからね (後略)」と口々に言い立てはじめた。そこで僕はうんざりした顔で「おれが知りたいことは、」とさえぎってやった。「全部川の中にあるのさ。その何とかネットとやらには一行もかいてねえだろうな。」(15頁)

そして、この文章は最後、こう締めくくられます。

正式な学問の立場では、お話しにもならない馬鹿げ切った集大成であると罵られても、ちゃんと覚悟もできてます。そういう場合にはこう開き直ることにしよう。「見解の相違ですな。」

これはよくあるイイワケ──あらかじめ批判を先取りしてソレを封じ込めようという小賢しいイイワケではもちろんありません。俺の書いたことは間違っていないけど、アナタには間違っているように見えるならそれは見解の相違でしょう、ということでしょう。それだけのものが確かにこの本には詰まっていそうです。
最後につまらないことを少し。カバーのA Fly Fisher’s Viewという題は、以前のエントリで書いたとおり、ちゃんと尻尾つきの記号が使われてました (アポストロフィーと言うんでしたっけ……)。しかし、中の扉頁は尻尾つきではなくてただのチョンという記号でした。ま、いっか。ただ、この本は世界に通用する本だと思うので、一分のスキもない本であって欲しいなぁと願ったりもするのでした。英語版? バカ言え、この本に書いてあることを知りたければ、オメーが日本語勉強しろって、という声が聞こえてきそうな、気迫のこもった素晴らしい本です。
ヘタレな僕は、保存用に在庫僅少だという、上製本のヴァージョンも買おうかと真剣に考えています (
追記
「fishers’」かも、なんて書きましたが、まったくの勘違いでした。「fisher’s」で正しいです。なにしろ「a」ですから。複数語尾というのをすっかり勘違いしてました (。余計な文章はすべて削除しました。もし、ご覧になって混乱された方がいたら深くお詫び申し上げます。いやはや、英語は難しい (