垢石・鮎・調布

kechida2007-02-27

佐藤垢石の『釣の本』アテネ書房、1989年6月)という本を古本屋で買ってきて読み始めています。銚子の海で釣りをしていた幼年時代を思い出し冒頭から滂沱してます。川を遡る鮎をめぐる思い出が、父や母との甘美な思い出と結びついていて、ホント泣けます。
それにしても、たかだか100年くらい前の川の様子を読むにつけ、いかに当時は自然が豊かだったか、そして、いかに多くの自然が損なわれたのかを知り愕然とします。

代表的なお国自慢の鮎が棲んでいるのは、我が多摩川である。昔から、武州多摩川で漁れる香魚が絶品なりとして、信ぜしめられて来た江戸から東京へ、であつた。これは、人情でもあり、ほんたうでもあつた。と言ふのは、多摩川は勝れた水質と岩質を持つていたからである。甲州の北都留の花崗岩の割れ目から滴り落ちた多摩川の源は、軈て下つて香魚の餌として最も上質な水垢を発生する武州の古生層地帯へ入る。早春、六郷村の河口から遡つて双子、調布、拝島、青梅を過ぎて御嶽あたりでこの上等の餌を飽食した香魚は、味品の絶頂に達したのである。

「香魚の讃」『釣の本』アテネ書房、1989年、p.38

ちなみに、昨年は多摩川を遡上してきた鮎はだいぶ多かったようです。『丹沢物語』では、「鼻曲がりアユ」で有名だった道志川の現在を、諦観まじりに描いています。

道志川丹沢山塊の北辺を流れる川で、むかしは鼻曲がりアユといわれた美味なること天下一品のアユで有名だったが、今は下流部に津久井湖ができて天然アユの遡上はなくなった。
アユは解禁前にどこかから連れてこられるようなものになった。川に放されたアユは、夏のあいだ釣り人を楽しませたあと、最後は川に仕掛けられた網で根こそぎ捕らえられる。アユが落ちてゆこうにも、落ちてゆく先はないのだから、処遇としては当然の結末である。むかしと変わらないのは、アユ釣りをしている風景だけである。
鼻曲がりアユは消えたが、放流アユはパーフェクトな商品になった。川に放されたとたん、パック詰めさにされたようなアユだったが、解禁前に放されたアユが群れて遊んでいるのを眺めていたら、なんだかやたらと懐かしくなった。

碓井昭司「魚止め」『丹沢物語』フライの雑誌社、2004年、p.138

で、ここから話は大きくのけぞるのですが、「鮎」とか「若鮎」と呼ばれる和菓子がありますどらやきの皮のような生地で求肥を包んだ和菓子です。鮎の形になっています。なぜこの菓子と鮎の形が結びついたのか、よく分かりません。で、私が現在通っている虎ノ門の事務所の隣にある大福で有名な「岡埜栄泉」では、「鮎」は売っていませんが、似たような菓子である「調布」が売ってます。どらやきの皮で求肥を包んでいるのは同じものの、鮎の形をしておらず、無粋な矩形状です。早とちりな私は「鮎」「調布」と聞いてすぐ多摩川のことを思い浮かべました。ちょっと調べれば面白い話が出てくるかも!と思っていたのですが、「鮎」は京都だし、「調布」にいたっては岡山の名物だそうです。世の中分からないことだらけです。以上、オチも何にもありません。