丹沢釣り風土記

kechida2007-12-20

という本があったので買いました。なぜかというと、著者が『峠を越えた魚―アマゴ・ヤマメの文化誌』の鈴野藤夫だったからです。『峠を〜』も素晴らしい本でしたが、こちらも劣らず素晴らしいです。
比較する意味はあまりないかもしれませんが、碓井昭司の『丹沢物語―ビッグセッジ 魚止め その他の短篇』がやや甘ったるい感傷を漂わせているのに対し(この手の感傷は個人的に大好きだし、この本においてはそれは大成功しています)、『丹沢釣り風土記』はひたすら硬派です。山と谷が織り成す地形を的確な文章で表現し、また資料を精査し伝記を拾い集め、谷の歴史や人との関わりをあぶりだします。その感触は農業を営んでいた祖父のゴツゴツした大きな手を思い起こさせます。あらゆる装飾と一切無縁で、ひたすら実用的で無骨なんですが、どうしようもなく人間的な温もりを感じるというか。たとえば次のような一文はどうでしょう。

東丹沢が県有林に移行する昭和6年(1931)以前、御料林時代には水車を動力にした製材所があって、モミ材で製造した折箱の経木を主として小田原方面、また電燈の笄(こうがい)を秦野方面へ出荷していた。製材所の寄宿舎には10人ほどが起居し、良材を求めて漸次上流へと移動したが、その折に魚類も引上げて、生息域を拡大したと言われる。本谷川の場合、牛道沢出合いの約50メートル下流左岸側に漁師がよく利用した言う石小屋があったが、それより下流は巨岩が犇(ひし)めき合って落差が著しく、魚類の遡上を妨げていた。(中略)本谷川で生息域を拡大したヤマメは、キュウハ沢出合いの稍下流にあった、著名な「蜘蛛ヶ渕」に多棲したことで知られる。

鈴野藤夫「丹沢の水系」『丹沢釣り風土記』白山書房、1990年、pp.50-51

こういう文章を読むと、谷というのがただ単に山から滲み出す水を集める落差のある細長い窪み、とは考えられなくなってしまうのです。谷(や山)に、古くからの往来の痕跡、生活の匂い、兵どもの夢などを重ね合わせ、ロマン(笑)を感じてしまいます。著者はどんどん(悪い方へ)変貌していく丹沢も淡々と描写します。それについて悪態や呪詛の言葉を吐いたりしません。そうであるがゆえに、行間から無念さのようなものが滲み出してきます。谷で釣り糸を垂れている写真がたびたび挿入されますが、その写真からは静かな熱気や、かすかな体温のようなものが感じられます。
一方で、自然はそんなちっぽけなもんじゃないよ、と言っているようでもあります。なにしろ関東大震災震源地に近かった丹沢では、多くの谷で魚が絶滅し、その後も大水で壊滅的な打撃を受けることしばしばだったそうですから。
残念ながら、すでに古書でしか手に入らないようですが、一読の価値ありです。

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