川を利用した大規模ゴミ処理装置がある街

kechida2008-04-10

……という題の碓井昭司氏のエッセイが『フライの雑誌』18号に掲載されています。当時(1991年以前)のK川と現在のそれにどれくらい違いがあるのか、一度も釣り糸を垂れたことがない私は知る由もありません。

 僕は当時、K川に通いながら、なんだかやたらとイジケていたのである。ただ釣れるという理由だけでK川に通っている自分と、川で出会う釣り人を軽蔑するようになった。
 知っている方も多いと思いますが、O市を流れるK川には生活必需品のあらゆる残骸が投げ込まれています。今思い出しても、それはさながらゴミ箱の中の釣りであった。だが、そんな川でも釣れるから人が訪れる。そのことに漁協も甘えて、川の凄まじい有様には目をつむっているとしか僕には思えなかった。(中略)
 K川に初めてアマゴを釣りに行ったときは度肝を抜かれた。なにしろ川にネットを入れたら、いきなりモヤシが入るのである。そんな体験は初めてだったから、僕はかえって面白くなり、ボーゼンとネットを川に沈め続けた。するとリンゴの皮とキャベツの切れ端が入ってきた。
 「オオ! この川はいながらにしてリュウイキの人たちの食生活が判る、まるでハクブツカンダ!」
 僕は流れを見つめて絶叫した。これほどまでに文化的な川に僕は未だ曾て出会ったことがなかった。そしてすぐに自分が、川の形態をした家庭雑排水溝の真っ只中にいることに気がついて、背中のあたりになにやら冷たいものを感じつつ冷静になって辺りを見渡すと、ボロ自転車にクルマのタイヤ、冷蔵庫、洗濯機、フトン、マットレスといったものまでもが投げ捨てられていることに気がついた。おそるおそる空を見上げると、青い。どうやら夢ではないらしい。(中略)
 それから数年たったある日。僕はNHKの『小さな旅』を見た。
 そのときはO市がテーマで、あれ以来、O市には足を向けていなかった僕はどういう形でK川が出てくるのかと少しワクワクして見ていたけれど、ついにカメラは町の顔ともいうべき川には向けられなかった。僕は期待を裏切られたような気分で、山の上から遠望した夕暮れのO市がテーマ音楽に乗って美しく映っている場面を眺めながら、ゴミだらけだったK川をひどく懐かしく思い出した。そして僕は、やっぱりK川とO市が好きなのだと、心底そのことを感じて胸が熱くなった。

碓井昭司「川を利用した大規模ゴミ処理装置がある街」『フライの雑誌』18号、1991年、pp.87-89

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