ブライト・ライツ ビッグ・シティ

kechida2008-04-25

 きみはそんな男ではない。
 夜明けのこんな時間に、こんな場所にいるような男ではない。しかし、いまきみのいるのは、間違いなくこんな場所なのだ。この風景には見覚えがない、ときみは言うことができない。きみはナイトクラブにいて、頭を剃り上げた女と話している。クラブの名前は「ハートブレイク」。いや、「ザ・リザード・ラウンジ*1」だったろうか。バスルームに入り、ボリヴィア製の強いコカインをひとつまみやりさえすれば、何もかもがもっとはっきりしてくるかもしれない。

ジェイ・マキナニー『ブライト・ライツ ビッグ・シティ』1988年、新潮文庫、p.11 *強調は原文傍点

大学時代は、文学青年の超ハシクレだった私は、ドストエフスキーとか、フォークナーとか、プイグとか、サリンジャーとか、マラマッドとか、そんなのをいろいろ読みました。今の私にとっては何にもなってないませんが。そんなほとんど身にならない乱読を繰り返していた私の青春時代に、ある種の同時代的な共感を感じながら読んだ本のひとつが、ジェイ・マキナニーの『ブライト・ライツ ビッグ・シティ』だったのです(まぁ、要するに流行っていただけなのですが)。上記の引用は同書の冒頭部分です。ご覧いただければ分かるとおり、この本は「きみ」を主語とした二人称で書かれた極めて珍しい小説です。通常だったら、「私はそんな男ではない」と一人称で書かれるか、あるいは「私はそんな男ではない、とkechidaは思う。(中略)しかし、彼がいるのは、間違いなくこんな場所なのだ」と三人称で書かれます。
まぁ、そんな話はどーでもいいのですが、この本の中ではフライ・フィッシングに関する記述が散見されます。大手出版社の調査課で働くヤッピーの主人公「きみ」は、自分の仕事に疑問を感じ、次のように言います。

しかし、文芸課の連中のところへ行き、このフライ・フィッシングの場面なんですけど、ここオレゴンの河で蜉蝣の卵が孵化すると書いてますね、でも事実に反するんです、そう報告しても、たいして喜んでもらえるわけではない。そこでは、きみはペダントリーの王国から来た歓迎されざる使者なのだ。「ほう、それじゃあ、くそったれのオレゴンでは何が孵化してくださるのかね?」と編集者は尋ねる。「えっと、サーモンフライなら……」きみは叫び出したい気持ちをこらえる。仕事なんだ。

同前p,40

あるいは、親友からもらったコカインが入った小瓶を誤って便器に落とした場面では、次のように書かれています。

きみは手の甲に一回分だけ振って出す。そしてその手を顔に近づけようとした時、握っていた手から壜が滑り、嫌になるような正確さで便器に落ちていった、いったん跳ね返った壜は、再びあざ笑うように飛沫を飛ばし大きな音をたてて水面から姿を消した。それは、巨きな灰色の鱒が、小さな、だが丹精こめてつくられた蚊鉤から外れた時、水面に立てるような音だった。

同前p,152

たぶん、著者はある程度釣りのことを知っているのではないかと思います。自身でやるか、あるいは親がやっていたのか……。

*1:明らかにラウンジ・リザーズを意識していると思われます。