Midnight Rambler ── さよならトンガリキッズ


私が現在勤務する事務所は東京湾にほど違い運河の街ににあります。藤原新也は『東京漂流 (朝日文庫)』でこの街の情景から語りはじめたと記憶しています。いまや高層のオフィスビルとマンションが立ち並び、藤原氏が描出したような場末感は皆無に等しいです。
さて、この街は特定の年代の人間には別の郷愁を引き起こす街でもあります。かくいう私もその該当者で、私の場合のキーワードは「インクスティック芝浦ファクトリー」です(ゴールドやジュリアナには一度も行ったことがありません)バブル崩壊前夜の80年代後半、ウォーターフロントなんていうキーワードとともにこの街はにわかに脚光を浴びました。インクスティック芝浦ファクトリーは倉庫を改装したライブハウスでした。そういうライブハウスはかつて日本に存在しませんでした(たぶん)。私はこのライブハウスで、A Certain Ratioを見ました。じゃがたら(と彼らが出演した「トーキョーソイソース」)を何度も見ました。やがてじゃがたらの江戸あけみは変死し、インクスティック芝浦ファクトリーもいつの間にかなくなっていました。
先日不意に、インクスティック芝浦ファクトリーの跡地を訪れようと思い立ちました。ネットで検索してみました。どこに在ったのかを明示する記事はありませんでしたが、いくつかのキーワードからその場所を絞り込むことができました。事務所からは歩いて10分ちょい。久しぶりの雨が降った昨日、たまたま早く帰れたのでついに足を運んでみました。ずいぶん変貌していましたがたぶんその場所はたぶんインクスティック芝浦ファクトリーの跡地でした。ただの駐車場になっていました。私はあと数ヶ月で40歳になります。20代の頃、40歳まで生きている自分を想像することはできませんでした。でも、私は間もなく40歳であり、そんな私がインクスティック芝浦ファクトリーの跡地を訪れることとなったのです。どうせ40歳まで生きながらえるなら、もっと違う自分になりたかったです。部長ぐらいになっていて、愛人の一人でもいて(笑、3時以降は仕事せず、夜はどこに遊びに行くかだけを考えているような大人になりたかったです(爆