『フルーツバスケット』

kechida2005-05-18

最近家人がアニマックスで放映中の『フルーツバスケット』を熱心に見ていた。ただの甘酸っぱい学園ラブコメだと思っていて気にも留めていなかったのだが、昨日たまたまジーッと見ていたら想像していたものと全く違うことに気付き驚いた。
アニメ版『フルバ』『エヴァ』以降にしかありえないようなある種の雰囲気を感じた。要するに、「自分って何?」とか「私はココにいてもいいの?」といった、言葉にするだけでも恥ずかしいような青臭い問いかけに話は集約されるわけだが、それをどう語るかという点においておよそ想像できないような荒唐無稽なストーリーになってしまうところが凄い*1
で、家人はコミック版『フルバ』も買っていたので読み始めた。つねづね感じることだが、少女マンガというのは少年/青年マンガと比べたとき、情報量の密度があり得ないほど濃い。その語りの構造はにわかには理解できないほど複雑だったりする。文字の要素だけでも、セリフ、心内語、客観的なナレーション、書き文字、作者の無駄話などが複雑に絡み合い、非常にポリフォニックな語りを実現している。これに絵とコマ割りが加わるのだから、その情報量たるや驚くばかり。男性向けのマンガだと多くの場合20分もあれば一冊読み終わるが (例えば『バカボンド)、『フルバ』は1時間かかっても読めなかったりする。少なくとも少女マンガに関しては、これを読んだから読解力がなくなるということは100%ないと思う。むしろ非常に読解力が高まるのでは? 
ところで僕的にはその想像力は理解を超えているのだが、案外今日の若者たちにお馴染みなのかもしれない。僕なんかは高橋留美子あたりからの奇妙な和風オカルトの流れしか想像できないが、作者の高屋奈月はいわゆるギャルゲーとかエロゲーといわれるようなゲームも含め広くゲームを愛好する人らしく*2、そちら方面ではこういう荒唐無稽な想像力はお馴染みのものなのかもしれない。たんなる想像だけど。
というわけで、十数巻まで出ているようなので、しばらくは通勤電車で少女マンガを読みふける怪しいオッサンと化すことになりそうだ。
◇写真は意味もなく先日の雹。こんなスゴイのが降るのは多摩地区だけだと思いきや、そうでもなかったようで。

*1:エヴァ』だって『薔薇の名前』『フーコーの振り子』に匹敵するような、キリスト教神秘主義思想の宝庫だったワケで、その驚くべき作品世界は大瀧啓裕のようなオカルトの碩学一冊の本を書かせてしまうほど奥深い。

*2:作者の近況報告みたいなコーナーによると、ファイナルファンタジー (FF7) をやって泣き崩れたという。僕は、それが意味するところも分からなければ、そのような感受性もまったく持ち合わせていない。ジェネレーション・ギャップ!