ヴィクトリアン・エイジ

ミシェル・フーコー性の歴史−知への意志』の第一章は、「我らヴィクトリア朝の人間」という題で、以下の一文からはじまる。

人は言う、長いこと私たちはヴィクトリア朝の体制に耐えてきたし、今日なおそれを受け入れていると。女王様のあの淑女ぶった顔は、我らの控え目でおし黙った、偽善的な性現象 (セクシュアリテ) の紋章の一部に他ならないと。

ヴィクトリア朝時代についてはコチラコチラを参照されたい。ヴィクトリア女王治下の大英帝国は繁栄を極め、王室を頂点とする厳格な格式や道徳的基準が重んじられた一方、産業革命により工業化、都市化が進み、大衆文化が花開く。そして、生活や文化の退廃も進む。そういう矛盾した時代だったそうだ。
ところで、『エマ』というマンガがあって『英國戀物語エマ』という題でアニメ化もされている (もう放映は終わったらしい)。話はヴィクトリア朝時代、上流階級に属す若者ウィリアムとメイドのエマの恋愛を描く。眼鏡っ娘メイド服屋敷萌え要素が盛りだくさんで、マニアの人気を集めているようである。先日ヴィクトリア朝時代について調べようとネットをフラフラしていたところ『エマ ヴィクトリアン・ガイド』という本が引っかかってきて知った。これはコミック『エマ』の副読本らしい。で、そのまま勢いでマンガ注文しちゃった (w。面白いっす。ヴィクトリア朝時代のメイドの暮らしを知る文献としてTHE RISE AND FALL OF THE VICTORIAN SERVANT という本があって、近頃『ヴィクトリアン・サーヴァント―階下の世界』という題で邦訳されメイド萌えの方々の間でひそかな盛り上がりを見せていた。
さて、お馴染みハーディー社も1872年というヴィクトリア朝時代ど真ん中に創業している。英国をはじめ各国王室御用達であった同社は、一方で工業化による大量生産なしには考えられないわけで、極めてヴィクトリア朝的な存在だと言える*1。僕は昔はハーディーというとなんとなく古くさくて埃っぽい感じがしていたが、これは同社が典型的なヴィクトリア朝的存在だからなのではないだろうかと最近感じている。デザインも保守的というかイマイチ垢抜けなく感じていた。時代はだいぶ下るけど、オランダのアリ・ハートなんかはミース・ファン・デル・ローエなんかにも通じるような典型的なモダン・デザインであるし、アメリカのループとかラムソンなんかは機能性を追求すると美しいフォルムが生まれるという、やはり極めて現代的な設計思想に基づいている。一方、ハーディーの場合はリールはかくあるべきだという規範がまずあり、それに基づいて設計されている気がする。結果としてやや垢抜けないデザインになるものの、時代に流されて陳腐化することがなく、使っていても飽きが来ない。
先日、マニハナ鑑定団を拝見していたら、60年代にハーディーはアメリカに魂を売り、死んだ、みたいな話が盛り上がっていた。ま、これはヴェトナム戦争の影響でトンキン竹の確保が難しくなったとか、いろいろな側面があるらしいけど。いずれにせよ、世界史的に見ても60年代でヴィクトリア朝時代とその影響を受けたアレやコレや*2が終わり、アメリカ主導のグローバリズムの世界になったと考えるのは非常におさまりがいいのではないか、と大風呂敷を広げてみたりして。
追記:keytaccataさんのところで指摘されて気付きましたが、英国のハーディー社がトンキン竹を釣り竿の材料として使うのは、完全に植民地主義のなせるワザですね。

*1:詳しくはコチラを参照されたい。

*2:例えば植民地主義帝国主義がもたらした二度の大戦は含まれるべきだろう。