同級生の句集

kechida2005-08-29

2週間くらい前のこと。ポストに心当たりのない書籍小包が投函されていました。おそるおそる開封してみると……、なんと大学の同級生の句集が入っているじゃありませんか! 『こゑふたつ』というのがその本の題名です。木の山文庫というところから出版されています (いずれもgoogleで検索してみましたがまともな結果は得られませんでした)。この同級生が俳句に入れ込んでいることは、伝え聞いていましたが驚きました。表紙画は奥さんが書いてました。この夫妻の結婚式は僕がはじめて出席した友人の結婚式でした。
まだ、じっくり読み込んだわけではないものの、ひととおり目を通してみました。僕は俳句界の最近の傾向を知る者ではありません。しかし、少なくとも次のことは読みとれました。この友人はあえて古くさい路線で行っているようです。にわかに意味を読みとりがたい難しい漢字を使うし、基本的に旧仮名を使います。「新古典主義」とか、そんな呼び方をされているかもしれません。

砂の音してゆふだちのはじまりぬ
蚊柱を放ちて空を薄めたる

繰り返しますが、俳句のことはよく分かりません。でも、この友人の試みには僕なりに共感を覚えました。以前に、女性の俳人が女性の目から見た性を赤裸々に詠んだ俳句ばかりを集めた本を立ち読みしたことがある記憶があります。フェ○○オがどーしたとか、そんな句です。こういう句は一見革新的に見えて、実は誰にでも簡単に詠めるものです。フライだって自分の思いつきだけで新しいパターンを作ることは誰にでもできます。でも、本当に難しいのは先人の知恵がビッシリつまった伝統的なパターンを自分なりに解釈し、継承し、そして進歩させることです。僕の友達が俳句で試みていることはそんなものなんじゃないかと思います。例えば、本の題にも使われている句です。

こゑふたつ同じこゑなる竹の秋

私もこの日記で (某氏のマネをして) 一日一句詠もうかと思ったことがありますが、やめておいて良かったです(苦笑。僕の場合、俳句の掟を無視して自分が知っている言葉で (いっけん) 自由に詠むのがせいぜいでしょうから。例えば、パラボラアンテナとか加齢臭とかそんな言葉を使ったりして (笑。
◇開峪にガラス繊維の棹を振り