「国際」その後

kechida2005-09-01

フライの雑誌』61号のつるや釣具店員による座談会に国際釣り場の起源が書いてありました。この記事はじっくり読んだはずですが (なにしろこんなエントリも書きましたから)、すっかり忘れてました。逆にいうとサブリミナルに刷り込まれていたので、国際が気になったのかもしれません(笑。

斎藤 養沢はもっと後です (養沢毛鉤専用釣場は1955年開業)。鈴木魚心と米地南嶺、それにGHQ (連合国軍総司令部) の弁護士だったトーマス=ブレイクモアで養沢を作った。(中略) 養沢が国際鱒釣り場としては国内で最初だった。次にできたのが奥多摩大丹波川国際マス釣り場です。

フライの雑誌』61号、10頁

前後の文脈から米兵というか進駐軍が遊ぶ釣り場であり、外来魚であるニジマスが釣れる釣り場だから国際釣り場なんだと自然に読めます。一番最初が養沢で、その次が大丹波川国際マス釣り場。私の先日のエントリの写真はモザイクかけましたが、あれは大丹波です。どちらのWEBサイトにも「当釣り場の歴史」なんて項目はありません。そんなものに興味があるのはよほどの変態だけでしょうから。
追記大丹波川国際マス釣り場はてなキーワードになってて驚きました。奇特な方がいるものです。はてなキーワードの仕組みが分からない方はコチラからどうぞ。ここでもやはり横田基地の米兵相手の釣り場だったことが言及されています。