東京ゴルフ倶楽部

朝霞市にある超名門のゴルフ場が東京ゴルフ倶楽部。超名門クラブゆえかホームページを開設したりする必要がないのかもしれません。私は見つけることができませんでした。日本のゴルフ受容史を語る上で外せない人物に赤星四郎という人がいるようです。我らが赤星鉄馬の親族だそうです (四郎氏と鉄馬氏の続柄は調査不足で不明です)。資産家であった赤星四郎や赤星鉄馬は、当然、東京ゴルフ倶楽部の会員だったわけです。東京ロッド・エンド・カンツリー倶楽部がどういう倶楽部だったのかを知る一助になるような気がします。チラっと検索して見つけた日本のゴルフ受容史を概観するこのサイトによると、我らが、トーマス・ブレイク・グラバーの息子、倉場富三郎の名も出てきます。
東京ゴルフ倶楽部のクラブハウスの設計は、アントニン・レーモンドというチェコ生まれの米国人で日本で長年にわたって活躍した建築家が手がけています。実は先日撮影の仕事で、参宮橋にあるこの建築家の事務所にお邪魔し、古い図面を拝見させていただいていたのですが、そこでこの建築家が「赤星鉄馬邸」を手がけたことを知り驚いた次第です。でも、このレーモンドが東京ゴルフ倶楽部のクラブハウスの設計を手がけたと聞いて、納得した次第です。ようするに東京ゴルフ倶楽部つながりなワケなんでしょう。このクラブハウスの写真も何点か見せていただきました。結び文字みたいなロゴからして、メチャメチャハイソな雰囲気が漂ってきます。私には一生縁がなさそうな世界です。
以前のエントリにチラっと書きましたが、赤星鉄馬は明治〜大正にかけて活躍した、いわゆるお抱え外国人の建築家であるジョサイア・コンドルにも自邸の設計を依頼しています (実現したかどうかは不明)。有名建築家コンドルとレーモンドに自邸の設計を依頼し、芦ノ湖にバスを放流し、東京ロッド・エンド・カンツリー倶楽部と東京ゴルフ倶楽部の一員であったという赤星鉄馬とはいったいどんな人物だったのでしょう? 『ブラックバッス (釣り文芸シリーズ)』の編者である福原毅氏がバス釣りとゴルフの両面からこの辺りの事情には詳しいに違いないと想像されます。私はとても興味がありますが、そんな本に興味をもってくれる出版社は残念ながらないでしょう。