カーティス・クリーク

kechida2005-12-07

Curtis CreekのCurtisというのは男性の名前であり、辞書を引いても出てきません。Curtis MayfieldのCurtisなわけです。ようするに「カーティスの川」=「男の子の秘密の川」というほどの意味だそうです。シェリダン・アンダーソンと田淵義雄の共著『フライフィッシング教書 初心者から上級者までの戦略と詐術のために』のキーワードです。
「カーティス・クリーク」的な気分は、たとえばヘミングウェイの「ふたつの心臓の大きな川」の次のような一節が十二分に表現しています。

もう何年も前、前にも後ろにも、ところせましとフライフィッシャーマンが群がっている川で釣ったときは、鱒の死骸に何度も出くわした。いずれも白いかびにびっしり覆われて、岩に打ち寄せられたり、腹を見せて淵に浮かんだりしていた。だから、ほかの人間と川で魚を釣るのをニックはあまり好まない。仲間じゃない人間が一緒だと、きまって釣りの楽しみが失われてしまうからだ。

ある程度、釣りの経験がある人なら、こういう気持ちを持つものでしょう。けっしてセコいということではなくて、たくさん魚が釣れる、あるいは大きな魚が釣れる、といったことも最終的には関係ありません。大切なのはそこが秘密の場所だということです。
鱒釣り―アメリカ釣りエッセイ集』にはニック・ライオンズという人の「遺産」という文章が収録されています。FF好きの大学教授ニック・ライオンズは学生から亡父が遺産として遺した釣り具を鑑定して欲しいと依頼されます。この学生の父は、釣り好きが高じて離婚にいたった人です。その姉などは父が残した「遺産=釣り具」に冷淡であり、父が残した釣り具で飼い猫をおちょくる始末です。ところが、鑑定を依頼された教授ニック・ライオンズは、学生の父の「遺産」がすべて一流品であることをすぐさま理解します。ディカーソン、ペイン、ギャリソン、ウェス・ジョーダン……。そして、あるときニック・ライオンズは残されたベストからノートを発見します。

雨だ。ひどい吹き降り。(中略) 私のよきディカーソンは両膝の上に横にして置いてある。私のまわりは褐色の流れの溝ができている。(中略) そして私のバスケットの中にはいい鱒が二匹、それに今朝はほかに四つ流れに戻した。(中略) レナはけっしてわからないだろう。(中略) この鋭く、身の引きしまるような朝を、また、ドライ・フライがすばやく消しこまれるのを。川筋をかすめて飛んでいくツバメを。流れでいい羽化 (ハッチ) がはじまるにつれて動きだす川筋の鳥たちのことを。そしてラインをうまくキャストし終えたときのあの深い満足感を。

女たちが釣りを理解しないことは諦めていますが、息子はどうなのだろう?とこの父は淡い期待を抱いていたようです。この亡父は社会不適格者だったかもしれませんが、かけがいのない幸福な釣りのひとときを知っていたのは確かです。
フライフィッシング教書』には、このようなカーティス・クリークは自分でみつけなさい、秘密にしなさい、そして、自分で育みなさい、と書かれています。
私的には次のような一文にも励まされます。

もっと気軽に愉快に、ぼくたちはこの釣りを楽しもう。安物のグラスロッドをほこらしげにたずさえて川に行こう。

「スプリット・ケーンは、ぼくやきみのようにまだ若い貧乏な釣り人にはふさわしくない」と書かれていますが、一方でシェリダン・アンダーソンは「グレン・ブラケット・ウィンストン・ロッド・カンパニー」に謝辞を捧げています。初版は1979年発行でした。