『東京アンダーワールド』雑感

『東京アンダーワールド』を読む1ヶ月前に、たまたま『下山事件──最後の証言』を読んでいたのは、私にとってとても良いことでした。戦後の占領政策、日本の戦後史についての一定の理解を自分のものとすることができた気がします。
日本の占領政策は、当初、理想主義的・左翼的な方針──公職追放財閥解体、農地解放が基本政策であり、労働組合活動は推奨されていました。しかし、揺り戻しがありました。その揺り戻しの一環として下山事件が起きたらしい、と前回のエントリにも書きました。本書『東京アンダー〜』にも、アメリカの占領政策の転回ははっきり記されています。

占領直後の一年間、SCAP(筆者註:連合軍最高司令部)はせっせと改革にはげんできた。戦時中に要職にあった軍人、政治家、政府高官、ビジネスマンなど、約二十万の日本人と、ごっそり公職から追放(パージ)したのもそのひとつ。労働組合の結成もさかんに奨励していた。
ところがそのあと、占領軍の方針はがらりと一変した。
これが「逆コース」と呼ばれた政策転換である。パージされた者は返り咲き、あれだけ奨励されていた組合活動も、いちじるしく制限されるようになった。ほかにも、当初の“改革”はつぎつぎに撤回されていく。
「逆コース」の表向きの理由は、「国家の安全のため」だった。──中国における共産主義の台頭、ソ連との冷戦開始、その影響で日本が共産主義に染まる恐怖……日本人はそれほど恐怖を感じていなかったのだが。
ほぼ一夜にして、占領の目的は一八〇度転換された。当初の計画どおり日本を「民主主義のかがみ」にするどころか、「共産主義への砦」にしようというのだ。

アメリカ本国の非米活動委員会による赤狩りレッドパージと歩調を合わせた方針転換なのでしょう。私は赤狩りについてまったく知識を持たず、唯一、蓮実重彦の『ハリウッド映画史講義―翳りの歴史のために (リュミエール叢書 (16))』によってその一端を知るのみです。

映画という闘いにおいて勝利したのは、いったい誰だったのか。より正確には、映画の側からアメリカ合衆国に仕掛けられた闘いを真に支えていたのは誰なのか。それを多少とも明らかにすることで、われわれは、現代のアメリカ映画がかかえこんでいる問題の大きさに、改めて触れることになるだろう。

「映画の側」というときの「映画」とは、ナチから逃れるためヨーロッパ諸国からアメリカに亡命してきた知識人たちが支えていたハリウッドであるわけです。「アメリカ合衆国」は非米活動委員会でもあるだろうし、ハリウッドをコントロールするニューヨークの本社でもあるでしょう。「現代のアメリカ映画」というのは、すなわち「現代のアメリカ」に他なりません。もちろん著者はそのような短絡を好まないでしょうが。では、ここで語られるハリウッド映画史=翳りの歴史とは何なのでしょう? 
『東京アンダー〜』には、CIAが自民党を支持し、資金援助してきたとはっきり書いてあります。コダマ某もCIAに雇われていたとのことです。先日の大連立騒ぎなんかもなんだか微妙な感じです。裏で糸を引いていたと言われる人は、日本の政治を某野球団の経営と同じようなものと思っているのかもしれません。まぁ、某球団がどうなろうが私はまったく関心がありませんが。

日本研究の第一人者であるマサチューセッツ工科大学のジョージ・ダウワー教授はこう語った。
「政府内でも民間レベルでも、アメリカ人がいかに戦後日本の構造汚職を助長し、一党独裁による保守的な民主主義を促進する手助けをしてきたかが、この発言によって露呈されました。これは新事実です。……われわれは自民党を見て、腐っているとか、一党独裁の民主主義はよくないとか、あれこれ批判をしている。しかし、その間違った構造を作り出すのに、われわれアメリカ人が一役も二役もかっているわけです」

東京アンダーワールド (角川文庫)

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