元天使(たち)

ベルリン・天使の詩』は単純な着想を突き詰めた結果、驚くほどの傑作になったという希有な作品に思えます。ダニエルブルーノ・ガンツとカシエル(オットー・ザンダー)のふたりの天使(いずれも失業中)のひとりが人間の女に恋します。人間の女に恋した天使は、天使であることを放棄し、有限の生を生きなければなりません。天使の視点から見た世界は一貫してモノクロームで描写されますが、天使であることを放棄し、人間になった瞬間、世界は色彩を獲得し、フルカラー(総天然色)で描かれます。自分の流した血が「赤」であることを知り、元天使のダニエルは興奮します。

一般的に人間は天使を見たり感知したりすることはできませんが、ある種の人々──子どもとか老人とか──は天使の存在をまざまざと感じることができます。それを、いかなるハリウッド的な特撮を使うこともなく、非常に単純かつ明快な形でヴェンダースは描き出します。すなわちそれは視線によって表現されます。ある人物の視線は、彼には天使が見えることを雄弁に物語っています。たったそれだけなのに、その演出は最大限の効果を発揮しています。名高い図書館の場面はその最たるものです。この場面の迫力は素晴らしく、ざわめき立つ声は人類の知が集積された図書館が孕んでいる熱気を端的に表現しています。

刑事コロンボとして有名なピーター・フォークは「元天使」としてもっとも興味深いエピソードをこの映画で演じています。「私はあなたを見ることができないが、あなたがそこにいることが分かる。あなたの存在を感じる」と、ベルリンの壁近くのホットドック・スタンドで人間になることを決意したダニエルにピーター・フォークは語りかけます。天使の衣装である甲冑をニューヨークの古道具屋で売りさばいたらいい金にになったと元天使のピーター・フォークはダニエルに語りかけていたように記憶しています。
ラストシーンは人間になった元天使ダニエルとヒロインが出会う場面で終わります(これに先立つニック・ケイヴ&バッド・シーズのライブの場面も素晴らしすぎます)。この場面だけ見れば荒唐無稽なのかもしれませんが、この映画を最初から見てきた観客は、あぁ、やっとふたりが出会えた、なんと素晴らしいことなのだろう、と思わずにはいられません。ヒロインのソルヴェイグ・ドマルタンのセリフはあまりに詩的で素晴らしく、ドイツ語が分からない自分がちょっとだけ恨めしいです。

天使であることを放棄し人間になり有限の生を生きるというこの物語の骨格は、ベルリンという都市の歴史と重ね合わせるとき、効果的なメタフォアとなります。すなわち、ベルリンはイデオロギーに引き裂かれ、抽象的で非歴史的なモノクロームの街となったわけですが、壁が崩壊した結果、ベルリンは色彩を再び獲得し、現実を生きなければならないのですから。

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